量子力学@高知工科大学 第9ー12回

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第九回
「3次元系の量子力学、水素原子」

水素原子のスペクトル

いままで一次元を運動する粒子だけを考えてきたのは、その方が簡単だからであって、自然界には一次元的な量子力学系はあまり見当たらず、それよりは3次元的な運動をする量子系の方が多い。デカルト座標系 r = (x, y, z) を使って、3次元空間を運動する質量 m の粒子のシュレディンガー方程式を書くと
ih ∂t\∂ Ψ  =  – h^2/(2m) {∂x^2\ ∂ ^2+ ∂y^2\ ∂ ^2+ ∂z^2\ ∂ ^2} Ψ + V(x,y,z) Ψ
ここで波動関数Ψは空間座標 x、y、z、そして時間 t の関数 Ψ= Ψ(x,y,z,t) である。

時間に対して周期的な解
Ψ(x,y,z,t) = ψ(x,y,z) e^(-i/h E t)
を探すと、空間だけによる波動関数 ψ(x,y,z) のみたす「時間非依存のシュレディンガー方程式」が
– h^2/(2m) {∂x^2\∂^2+∂y^2\∂^2+ ∂z^2\∂^2} ψ(x,y,z) + V(x,y,z) ψ(x,y,z) = E ψ(x,y,z)
と書ける。勝手なV(x,y,z)が与えられた時、これを解くのは見るからに難しそうである。

Vが原点を中心に球対称な形で与えられる特殊な状況について考えると、シュレディンガー方程式を解くのが大分易しくなる。この場合デカルト座標に変わって球座標表示 r = (r, θ, φ) で考えるのが便利である。
x= r cosθ
y= r sin θ cosφ
z= r sin θ sin φ
ここで「半径方向変数」r は、0から∞までの正の実数、「角度変数」のうちの θ は0からπの範囲、φ は0から 2π の範囲の実数である。そして φ=0 と φ=2π は同じ位置を表していて、それゆえ波動関数はφに関して2πの周期を持たねばならない。

ポテンシャルが球対称だ、というのは V が r のみに依存して、θ や φ にはよらない、すなわち V = V(r) と言う事である。演算子  ∂x^2\ ∂ ^2+ ∂y^2\ ∂ ^2+ ∂z^2\ ∂ ^2 (= Δ:ラプラシアン演算子)は、球座標で書き直すと
Δ = 1/r^2 ∂r\∂( r^2 ∂r\∂ ) + 1/(r^2 sinθ) ∂θ\∂(sinθ ∂θ\∂ ) + 1/(r^2 sin^2 θ) ∂φ^2\∂^2
となる。

宿題 ラプラシアンの球座標表示の式を導け

球座標で表記した球対称ポテンシャルのシュレディンガー方程式には「変数分離型」の解
ψ(r,θ,φ) = R (r) Y (θ,φ)
が存在する。ここで解のおのおのの成分は
– { 1/sin^2 θ ∂φ^2\ ∂^2 +  1/sin θ ∂ θ \ ∂(  sin θ ∂ θ \ ∂  )    } Y ( θ,φ ) =  λ Y( θ,φ )
そして
-h^2/(2m) 1/r^2  dr\ d( r ^2  dr\ d ) R(r)  +  h^2/(2m)  λ/r^2 R(r) + V(r) R(r) = E R(r)
を満たす。つまり三つの変数の波動方程式が、二つの角度変数 ( θ, φ ) の関数 Y (θ, φ) に関する固有方程式と、半径変数 r の関数 R(r) についての固有方程式の二つの問題に分割できたことになる。

この二つのうちで、角度の二変数に関する波動方程式は、詳細は後に述べるとして、結果だけ書くと、次のように二つの量子数 l と m で指定される固有値解を持つ
– { 1/sin^2 θ ∂φ^2\ ∂^2 + 1/sinθ ∂θ\∂(sin θ ∂θ\∂)  } Y_{l, m} ( θ,φ) =  l(l+1) Y_{l, m} ( θ,φ)
ただし
l = 0, 1, 2, …..,          m = -l, -l+1, …, 0, …, l-1, l
つまり固有値は、整数 l (小文字のL)で l(l+1) と与えられ、その固有値 l(l+1) を持つ固有関数が m で指定される(2l+1) 種類の存在する。Y_{l,m} は「球面調和関数」とよばれて、C_a を適当な定数として
Y_{l, m} (θ, φ) = C_a P^m_l(cosθ) e^(i m φ)
と個々の角度変数に依存する部分の積になっている。 P^m_l(x) は「ルジャンドル陪関数」とよばれる x の l 次の多項式である。具体的な形はWikiなどで調べると良い。Mathematicaなどのプログラミング言語の中では、球面調和関数そのものがすぐ表示、利用できるので、見てみると良い。通常C_a は  ∫dθsinθ  ∫dφ  Y_{l,m} (θ,φ) = 1 から決める。

歴史的な事情から、原子物理学、化学において、角度の量子数のうち l を「方位量子数」、m を「磁気量子数」と呼ぶ習わしになっている。また状態 Y_{l,m} を呼ぶのに、方位量子数 l の値に替えて、次のような名前を用いる慣習になっている。
l =  0    1    2    3    4    5    6    7 …
s     p    d    f     g    h     i     k
こうして結局、角度方向の量子数 ( l, m ) ごとに 、半径変数 r についての固有値方程式が
-h^2/(2m) 1/r^2 dr\d( r^2 dr\ d ) R(r)  + { V(r) + h^2/(2m) l(l+1) /r^2 } R(r) = E R(r)
で与えられることになり、これは結局単なる一変数の二階の常微分方程式となって、実質これまでと同様の、一次元問題を解く手間で扱えることになったのである。(注:この式に出てくるm は粒子の質量であって、磁気量子数 m とは別のもの)この一次元問題での{ } でくくった「実効的ポテンシャル」 に見える第二項  h^2/(2m)  l(l+1)/r^2 は遠心力に対応しており、それから l が大きい角度方向の波動関数 Y_{ l, m} が「より速い回転」を表していることが推測できる。

シュレディンガーが、今日では彼の名を冠する方程式の想を得て、最初に解いたのが、水素原子中の電子の感じる クーロン引力ポテンシャル
V(r) = – α / r
の問題であった。その解は方位量子数 l と、さらにもう一つの量子数 n = 1, 2, 3, … を用いて
-h^2/(2m) 1/r^2 dr\d(r^2 dr\ d) R_{n,l} (r) + {-α/r + h^2/(2m) l(l+1)/r^2} R(r) = E_n R_{n,l} (r)
と書かれて、ここでの固有値は「主量子数」n だけに依存して
E_n = – (m α^2) / (2 h^2) × 1/n^2
であたえられる。そして固有関数の方は、代数関数 (2r)^l 、指数関数 e^(-r /n) そして 「クンマーの合流型超幾何級数」F(a,b,c)というものの積で
R_{n, l} (r) = C_r (2r)^l e^(-r /n) F(-n+l+1, 2l+2, 2r/n)
と与えられる。主量子数 n には「lより大きくなければいけない」という条件が課される。 超幾何級数がどんなものかは、これもWikipediaなどでみると良い。

さらにここに出てくるC_rは任意の定数で、通常は条件 ∫dr d^2 |R_{n,l}(r)|^2 = 1 から決める。こうすると、前のY_{l,m}の規格化とあわせて、解全体
Ψ_{n,l,m} (r) = R_{n,l} (r) Y_{l,m} (θ,φ)
が  ∫dr | Ψ_{n,l,m} (r) |^2 = 1 と規格化されて便利である。エルミート演算子の固有状態たちは全体で完全直交系をなすが、水素原子のハミルトニアンに関してもそれは当然成り立っていて、これは
∫dr  Ψ*_{n,l,m} (r)  Ψ_{n,l,m} (r)  = δ_{n,n’}   δ_{l,l’}   δ_{m,m’}
の成立を意味する。

結局水素原子の固有状態は三つの量子数( n, l, m) で指定されて、固有エネルギーは -1/n^2 に比例する値になる。主量子数 n = 1, 2, 3, … はエネルギーを定め、一つの主量子数 n に対応する固有値に、l = 0, 1, …, n-1 で指定される n-1 個の方位量子数で指定されるだけの複数の固有状態が対応している。ここで一つの方位量子数 l には、さらに各々磁気量子数がm = -l,..l である (2l+1) 個の状態が属していることに注意せよ。

シュレディンガーが求めた水素原子の固有エネルギーは、実験値と完璧に一致していた。天啓により書き下された波動方程式の正当性を確信した瞬間の、シュレディンガーの陶酔感はいかばかりであったことだろう。

宿題:
水素原子の固有値 E_n (n = 1, 2, 3, 4 )を、適当なスケールを選んだエネルギーを表す直線上に表示せよ。

宿題:
水素原子の固有状態 ψ_{n, l, m) (r, θ, φ) = C R_{n, l} (r) Y_{l, m} (θ, φ) を n=1, 2, 3 に属するすべての状態について具体的に求め、グラフで表示せよ。(関数e^{imφ) は自明なので、球面調和関数をφ=0 としてθの関数として表示すればよい。つまりは R_{n,l}(r)、Y_{l,m}(θ,0)を表示せよ)(Mathematicaを用いた関数のグラフ化についてはこちらを参考にせよ)

水素原子の波動関数ψ(r,θ,φ)全体を(二次元に射影して)描くとこんな感じ。n=1(l=0の一択)のものは、単にぼやけた球になるだけなので、描かなくてもわかるという事で、n=2から始まっている。

角運動量の量子力学

いま出てきた3次元の運動を表すシュレディンガー方程式の、角度方向二関する固有方程式とその解
– { 1/sin^2 θ ∂φ^2\ ∂^2 + 1/sin θ ∂ θ\∂(sinθ ∂θ\∂)  } Y_{l, m} ( θ,φ) =  l(l+1) _{l, m} ( θ,φ)
についてもう少し詳しく見てゆく。ここで出てくる演算子を L^2 と呼ぶことにする。つまり
L^2 =  – 1/sin^2 θ ∂φ^2\ ∂^2 –  1/sin θ ∂ θ\∂(  sin θ ∂θ\∂ )
なぜL^2などと呼ぶかは、これからわかる。いまこの演算子を、もう一回x, y, z で書き直すと、次のように表現できる
L^2 = L_x^2 + L_y^2 + L_z^2
ただし
L_x = -i ( y dz\d – z dy\d )
L_y = -i ( z dx\d – x dz\d )
L_z = -i ( x dy\d – y dx\d )
である。この三つの演算子L_x、L_y、 L_z は、形をよく見ると角運動量 L = × p のx、y、z三成分をシュレディンガーの処方p -> h/i dr\d に従って量子力学的演算子にしたもの(をhでわったもの)になっている。すなわち
L_x = 1/h ( y p_z – z p_y )
L_y = 1/h ( z p_x – x p_z )
L_z = 1/h ( x p_y – y p_x )
そして上のL^2は、角運動量の大きさの二乗を量子力学的演算子にしたものに他ならない。

球面調和関数 Y_{l,m} は、L^2 の固有状態であるとともに、実はL_z の固有状態にもなっている。具体的には
L^2 Y_{l,m}(θ,φ) = l(l+1) Y_{l,m}(θ,φ)
L_z Y_{l,m}(θ,φ) = m Y_{l,m}(θ,φ)
であることが、少し面倒ながら直接計算すると確かめられる。つまりL^2 とL_z の両演算子の「同時固有関数」である Y_{l,m} にあって、方位量子数 l が演算子 L^2 に関する固有値 l(l+1) を決める量なのに対し、磁気量子数 m は L_z に関する固有値を決める数になっているのだ。L^2 の固有値が l(l+1) であることから、方位量子数 l の事を単に「角運動量 l」と呼ぶ事もおおい。

そうすると普通に考えて Y_{l,m} は演算子 L_x、L_y の固有関数にもなっている
L_x Y_{l,m}(θ,φ) = ? Y_{l,m}(θ,φ)
L_y Y_{l,m}(θ,φ) = ? Y_{l,m}(θ,φ)
と思うところであるが、実はそうなっていない。果たしてこれはどういうことか。

演算子の交換関係

演算子 P と Q があって、波動関数 Φ が、その両方の固有状態だとしてみる。
P  Φ = a  Φ
Q  Φ = b  Φ
二つの演算子の積 PQ と QP を考えると
PQ  Φ = ab Φ = QP Φ
であるから (PQ – QP) Φ = 0となり、演算子 PQ と QP が Φ に作用するとき同じ効果をもたらすことを示している。この議論を逆にたどると、今もし二つの演算子 P と Q が
P Q – Q P = 0
と言う関係にある、すなわちP Q = Q P と「交換する」ならば、P の固有関数は常に Q の固有関数にもなっており、逆に Q の固有関数は常に P の固有関数にもなっていて、P と Q の固有状態は同時に共通の固有状態を持つ、ことになる。さらにこの反対の場合、つまりP と Q が交換しなくて
P Q – Q P ≠ 0
となる場合は、P と Q は同時に同じ波動関数を固有関数として持ち得ないことになる。交換関係 [ P, Q ] を
[ P, Q ] = P Q – Q P
と定義して、以上を簡潔に表現することができる。
[ P, Q ] = 0  ←→ P と Q は固有関数を共有する
[ P, Q ] ≠ 0  ←→ P と Q は固有関数を共有しない
実際直接の計算から、L^2 は L_x、L_y、L_z のいずれとも交換する
[ L^2, L_x ] = 0,    [ L^2, L_y ] = 0,    [ L^2, L_z ] = 0
にもかかわらず、L_x、L_y、L_z はどれも互いに交換しない
[ L_x, L_y ] ≠ 0,    [ L_y, L_z ] ≠ 0,    [ L_z, L_x ] ≠ 0
ことが確かめられる。じっさいそれはゼロでないというだけではなく
[ L_x, L_y ] = i L_z,     [ L_y, L_z ] = i Lx,    [ L_z, L_x ] = i L_y
という興味深い関係になっている。

この不思議な関係によって、たとえば L^2 と L_x の同時固有状態を作ることはできるが、それは L_y やL_z の固有状態ではないという結論が得られる。同様にL^2 と L_y の同時固有状態を作ると、それは L_z やL_x の固有状態ではない。水素原子の固有状態として我々の用いた球面調和漢数は、L^2とL_z の同時固有状態であるが、それは L_x もしくは L_y の固有状態ではない。

物理量の測定値の確率分布

量子系の状態が波動関数 ψ で与えられたとして、ψ がエルミート演算子Q の固有値 a の固有関数
Q ψ = a ψ
になっているならば、Q に対応する物理量を測定すると、それは常に a になる事を意味している。(例えば Q がハミルトニアンで a がエネルギーである例を考えてみると良い)

もし逆に、ψ が演算子Q の固有関数でないときは、その状態にある量子系について、Q に対応する物理量を測定すると、それは確定しない、すなわち測定の度に違った値が、確率的に見つかる事を意味する。

どの値にどんな確率で見つかるかは、「エルミート演算子の固有関数は直交完全系をなす」という性質から、次のように決まる。Q の固有関数で造る正規直交系系を {φ_n}、対応する固有値を {q_n} ただし  n = 1, 2, 3 … として、状態 ψ はどんなものであっても
ψ = Σ_n c_n φ_n
と云う形に書ける訳であるが、ここの展開係数 c_n の絶対値の二乗 |c_n|^2 こそが、状態 ψ に関して物理量Q の測定を行ったときに、それが固有値 q_n という値に見つかる確率になっている。正規直交性 ∫dr φ*_n φ_m = δ_{n,m} から
c_n = ∫dr φ*_n ψ
っと決まるので、結局、物理量 Q の測定結果が n 番目の固有値 q_n に見つかる確率は
| ∫dr φ*_n ψ |^2
で与えられる、という事になる。

宿題:
状態 ψ についての物理量Q の測定結果の平均値が
∫dr ψ* Q ψ / ∫dr ψ* ψ = Σ_n q_n |c_n|^2
と書けて、今の話と前の話で辻褄が合っている事を示せ

二つの演算子が交換するならば、それは一方の物理量が確定すると、他方も確定する事を意味する。自由粒子のエネルギー H_f と運動量 p ([ H_f, p ] = 0)がそうした例である。

二つの演算子が交換しない時、一方の物理量が確定すると、他方が不確定になり、測定の度に確率的に分布する事になる。位置 x と運動量 p ([ x, p ] = ih)、角運動量の二成分、例えばx成分L_xとz成分L_z([ Lz, Lx ] = i L_y)がそうした例である。

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第十回
「量子スピン」

今一度角運動量の量子力学について

角運動量演算子 L = (L_x, L_y, L_z) については、各成分の非可換性から、全ての成分の同時固有状態は造れないので、一つだけということで、通常は L_z の固有状態を選んで Y_{l,m} を持ってきた訳だったのだが、いまここで l をある値に決めて、そのもとで可能な (2l+1) 個の m (つまり m = -l, -l+1, .., 0, …, l)で作る Y_{l,m} をまとめて考えてみる。

決まった l について、Y_{l,m} の全体を集めれば、それは「完全系」をなしている。

その意味は、決まった l の状態について、たとえば角運動量の z 成分を測定すると、それはかならず(2l+1)通りの状態のどれかになる、という事である。

きまった l のY_{l,m} 全体が完全系をなす、という言明のもうひとつの意味は、L^2 の固有値 l(l+1) をもつ固有状態でさえあれば、どんな波動関数 ψ であれ
ψ = Σ_m  c_m Y_{l,m}
という型に展開可能ということである。これは ψ がL_zの固有状態であってもなくても、またL_x や L_y の固有状態であってもなくても、常にこう書けるということである。これを「L^2の固有値 l(l+1) に属する任意の波動関数は(2l+1) 個の係数 {c_n}で特徴づけられる」と言い換えても良い。Y_{l,m}の直交性 ∫dΩ Y*_{l,m’} (Ω) Y_{l,m} (Ω) = δ_{m’,m) から、この係数は即座に
c_m = ∫dΩ Y*_{l,m} (Ω) ψ (Ω)
と求まることがわかる。ここで角度変数の組をまとめて Ω = (θ,φ) と表記しており、dΩ = dθ sinθ dφ である。

「角運動量 l の状態は (2l+1) 次元の関数空間に属する」というのが、この事情の専門用語をつかった表現である。この場合 {Y_{l,m}| m=-l, …, l} が関数空間の (2l+1) 個の「基底ベクトル」を与えていることになる。基底ベクトルの選び方は一つではなく、たとえば L_x の固有状態、上の表記に従えば {Z_{l,m}| m=-l, …, l} を基底ベクトルとして選ぶ事もできる。

きまった 角運動量 l の状態についてなにかの測定をすると、その答えは(2l+1)通りの選択肢の中の一つになる。その選択肢は、L_zを測定するか、L_xを測定するか、というように、どんな設定で測定するかによってかわってくる。

さてこの角運動量 l の関数空間に属する任意の波動関数について、c_nを具体的に求めてみよう。例えば L_x の固有値 k の固有状態を Z_{l,k} と書いて
Z_{l,k} = Σ_m z_{k,m} Y_{l,m}
となる展開係数 z_{k,l} を求めるとすると、ごりごり積分計算をすることで
z_{k,m+1} = 2k / √{ (l+m)(l-m+1} z{k,m} – √{ (l-m)(l+m+1} / √{ (l+m)(l-m+1} z{k,m-1}
という漸化式が求まって、 z_{k,-l} = 1 (でも何でも良い)を出発点にして全てのz_{k,m} を芋づる式に決められる。ところがこの計算に、 ∫dΩ Y*_{l,m} (Ω) ψ (Ω) といった積分を実際に行う必要はない。この漸化式は Y_{l,m} にLxを作用させた場合についての
L_x Y_{l,m} = 1/2 √{ (l+m)(l-m+1} Y_{l,m-1} + 1/2 √{ (l-m)(l+m+1} Y_{l,m-1}
という関係だけを用いて 求まっており、この関係事態、交換関係 [ L_x, L_y ] = i L_z,  etc. から直接導かれるものである。 この特定の例の波動関数に限らず、これはいつもそんな風になっている。

宿題:
二つの演算子
L_+ = L_x + i L_y
L_- = L_x – i L_y
を定義したとき、上記の交換関係から次の式を証明せよ。
L_+ Y_{l,m} = √{ (l+m)(l-m+1} Y_{l,m-1}
L_- Y_{l,m} = √{ (l-m)(l+m+1} Y_{l,m-1}
このとき l(l+1) = L^2 = L_- L_+ + L_z^2 + L_z = L_+ L_- + L_z^2 – L_z に留意せよ

つまり角運動量 l をもつ(2l+1) 次元の関数空間の性質は、演算子や波動関数の具体的な形、 L_z = 1/h( x p_y – y p_x)  や Y_{l,m} といったものを媒介せずに、上の交換関係を与えた時点で完全に定まってしまっているのである。

それ故、この関数空間を文字通りにf(x) といった関数の集合ととらえる必要もなく、(2L+1) 個の基底を持つ「なにか」であって、L_x、L_y、L_zをこの「なにか」に作用する演算子と考えるだけで良い。あまり抽象的だとわかりにくいので、l=1 の (2l+1) = 3 次元の例を挙げると、基底を三つの三次元単位縦ベクトル
Y_{1} = { {1}, {0}, {0} },      Y_{0} = { {0}, {1}, {0} },     Y_{-1} = { {0}, {0}, {1} }
と考えてしまい、L_x、L_y、L_zをそのベクトルに作用する行列
L_x = 1/√2 { {1, 0, 1}, {0, 0, 0}, {1, 0, 1} }
L_y = 1/√2 { { i, 0, -i}, {0, 0, 0}, { -i, 0, i} }
L_z =        { {1, 0, 0}, {0, 0, 0}, {0, 0, -1} }
とすると、交換関係が満たされた上に
L^2 Y_{m} = l(l+1) Y_{m}
L_z Y_{m} = m Y_{m}
となっていて、これだけで量子力学的な角運動量 l=1 の三次元関数空間を必要充分に表現していることになる。

スピン j=1/2

回転を表す状態は、角運動量演算子の二乗 L^2 の固有状態であらわされるのだが、それら固有状態は、固有値 l(l+1) を同じくする複数の状態ごとにまとめられる。そうしてまとめられた角運動量量子数 l に属する 2l+1 個の状態は、それらだけで閉じた関数空間をなしていた。その関数空間の構造は L_x, L_y, L_z の間の交換関係で決まっていて、その交換関係は、どの l の関数空間にあっても共通の
[ L_x, L_y ] = i L_z,   [ L_y, L_z ] = i L_x,   [ L_z, L_x ] = i L_y
というものであった。

これを違った角度から見ると、次のようにも言える。量子力学的な回転運動は、上記の交換関係で規定される角運動量演算子3つで記述されるのだが、この交換関係をもつ演算子は、回転の速度を表す負でない整数 l を指定すると、その回転速度の状態を表す、次元 (2l+1) のベクトル空間上に実現できる。

ここで空間の次元 (2l+1) は常に奇数である。すると生じる自然な疑問は、偶数次元のベクトル空間上に角運動量の交換関係を実現できないのは何故であろうか、というものえあろう。

それに対する意外な答えがパウリによって発見された。偶数次元のベクトル空間でも実現できる、というのがそれである。

半奇数の値をとる角運動量 j を考えると、偶数 (2j+1) 個の状態からできた状態空間が想定できるが、そこにあっても、角運動量の交換関係は実現可能なのである。

j = 1/2 で与えられる、二次元ベクトル空間の例で見てみよう。2x2の三つの行列
σ_x = { {0, 1} {1, 0} } ,   σ_y = { {0, -i} {i, 0} } ,    σ_z = { {1, 0} {0, -1} }
を考えると、これらがちょうど角運動量の交換関係を満たしており、これも何かの量子的回転を表す状態空間の演算子ではないかと疑われるのである。

これらの演算子は通常の角運動量の交換関係に加えて
σ_x σ_y + σ_y σ_x = 0
σ_y σ_z + σ_z σ_y = 0
σ_z σ_x + σ_x σ_z = 0
という「反交換関係」を満たす。

σ_x、σ_y、σ_z は、それぞれ固有値が1と−1の二つの固有状態を持つ
σ_x {{1/√2}, {1/√2}} = + {{1/√2}, {1/√2}} ,  σ_x {{1/√2}, {-1/√2}} = – {{1/√2}, {-1/√2}}
σ_y {{1/√2}, {1/√2i}} = + {{1/√2}, {1/√2i}} ,  σ_y {{1/√2}, {-1/√2i}} = – {{1/√2}, {-1/√2i}}
σ_z {{1}, {0}} = + {{1}, {0}} ,  σ_z {{0}, {1}} = – {{0}, {1}}
この演算子の作用する空間が、素粒子の自転運動の量子力学的表現と考えると都合がいいことが知られている。(何故そうなのかは後にディラックが「相対論的波動方程式」を見つけるまで判明しなかった)このような素粒子の自転のような運動を「スピン」と呼ぶ。パウリの見つけた行列演算子は「スピン演算子」、または単に「パウリ行列」と呼ばれる。

すると例えばσ_zの二つの固有状態は、自転の回転軸がそれぞれ z 軸の正の方向、負の方向に向いている運動状態、と解釈できる。σ_xやσ_yに関しても同様であり、その意味で
| ↑ > = {{1}, {0}} ,            | ↓ > = {{0}, {1}}
| →> = {1/√2}, {1/√2}},     | ←> = {1/√2}, {-1/√2}}
| ○ > = {1/√2}, {1/√2i}} ,    | × > = {1/√2}, {-1/√2i}}
といった表記も可能だろう。
    
パウリ行列のどれでも、固有状態が二つしかなく、その固有値が+かーの二種類しかない、というのは何を意味しているのか。スピンは何かの軸に沿って観測すると、その軸の+ないしーの向きに向いた二つの状態のいずれかとしてしか観測されない、と解釈する以外にない。

実際のスピン方向の観測は、ある方向に磁場を掛けてると、その方向とスピンの向きとの角度で系ののエネルギーが決まることを用いる。レーザー光を当てるなどしてスピンのエネルギー状態を測定すると、常に二つの状態しか見つからないのである。それがちょうどパウリ行列の二つの固有状態に対応している。レーザー光が吸収されると、それはスピンが磁場に沿った低エネルギーの基底状態にあったことを意味する。エネルギーを吸ってもう一つの状態に移った筈だからである。逆にレーザー光が放出されると、それはスピンが磁場にする向きの、高い励起エネルギー状態にあったことを意味している。

観測によるスピンの状態変化

先ほど見たことをもう一度落ち着いて考えてみると、スピンの回転軸の観測には、非常に奇妙な点があることに気づく。スピンの状態は、何らかの軸に関して順方向か逆方向の二通りのどちらかにしか見いだされないのだが、どんな軸に関してそれがおこるかは、観測をする者が、測定装置をどう設定するかに依存する。つまりスピンの状態がどんなであるかは、観測者の胸三寸に左右される部分があるのである。

違った軸方向に向けられたスピン状態の間の関係
| →> = 1/√2 {  | ↑ >  +   | ↓ > }
| ←> = 1/√2 {  | ↑ >  –   | ↓ > }
に注意を向けよう。この意味をよく考えるならば、これは「x方向に(正でも負でも)スピンの軸をむけておいて、z方向にスピンの向きを測定したら、その方向は不定で、上向きにも下向きにも等確率に見つかる」ということを表していることが了解される。


おもしろいのは上の関係を書き直すと、関係
| ↑ > = 1/√2 {  | →>  +   | ←> }
| ↓ > = 1/√2 {  | →>  –   | ←> }
も得られることである。これは先ほどとはx軸とz軸の役割が入れ替わっていて、「z方向に(正でも負でも)スピンの軸をむけておいて、x方向にスピンの向きを測定したら、その方向は不定で、上向きにも下向きにも等確率に見つかる」ということを表している。

これらの例は「演算子が交換しない二つの物理量を測定すると何がおこるか」を端的に示している。そしてさらにこれは、「状態を観測する」という事象が、量子力学では古典力学のように受動的な行為ではなく、状態自身に変化をもたらす一種能動的な行為として理解されなければならないことを、如実に示している。

さてそうすると、量子力学的な粒子の状態を観測する「観測者」とはいったいなにものなのだろうか。量子論の枠組みの中には何の規定もないが、それでも量子力学の辻褄のあった解釈には必要不可欠な存在たる観測者。いったい観測者になれるのはあなたや私のような意識と知性を持った人間だけなのだろうか。猿、そして犬や猫は観測者たりうるのだろうか。ウィルスはどうだろうか。観測者は一種のデカルト的な「抽象的絶対自我」として思い描くしかないが、客観的な実在を記述する筈の物理理論たる量子力学に、そのような者が入っていていいのだろうか。

答えは今のところ誰も知らない。

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第十一回
「量子暗号通信」

スピンに情報を蓄えて伝える

ここで |↑> = (1, 0)、|↓> = (0, 1)はそれぞれ上向き状態(θ=0)、下向き状態(θ=π)を分かりやすく書いたものです。この式を絵にしてみました。
これはまさに |↑> 、|↓> の組の「重ねあわせ」(つまり定数倍したものの和)で任意の状態 |θ> を書き表わせること、すなわち|↑> 、|↓> の組が基底セットをなすことを言っているわけです。簡単な計算で確かめられますが、
      <↑|↑> = 1、<↓|↓> = 1
      <↑|↓> = 0、<↓|↑> = 0
と言う関係があります。勿論この意味は、繰り返しになりますが、アリスが矢印を上向きに置いて、ボブが「上下方向」を念頭に観測すると100%上向き、アリスが下向きに置いたらボブにも100%下向き、ということです。これを使うと
      <↑|θ> = cos[θ/2]、<↓|θ> = sin[θ/2]
ですから、つまりアリスがθだけ傾いた状態 を準備してボブが「上下基底」で測定をやると、「上向き」の状態で発見される確率がcos[θ/2]^2、下向きがsin[θ/2]^2、ということです。
上と下の二つを足して確率1ということは、それ以外に見つかりようがない、ということにもなりますから、結局状態が2つの要素のベクトルでかけた時点で、この状態は観測したとき2通りの結果しかない、ということが決まってしまいます。むしろ逆に、「2通りの状態しか見つからないような量子的なもの」だから2要素のベクトルで記述できたともいえます。

 

「量子」の準備が整ったので、いよいよ「情報」にかかりましょう。仮にアリスが矢印の状態を準備する基底セットと、ボブが観測に用いる基底セットが同じだとしましょう。明かにこの場合はアリスが用意した矢印の方向が、100%の確度でボブに伝わります。例えばアリスが上下の向きいずれかに状態を作り、ボブに「上下を念頭に測定して」と伝えたとすれば、ボブはアリスの準備した状態がそのまま見つかるでしょう。そうならばこれをアリスからボブへの情報伝達と考えることもできます。つまりアリスは1ビットの情報”0″ または”1″を
  上下エンコーディング :  “0” ~ |↑> 、 “1” ~ |↓>
をつかって矢印の状態として伝え、これをボブが
  上下デコーディング  :  <↑| ~ “0”、 <↓| ~ “1”
でビット情報として正しく再生できた訳です。同様な情報伝達は
  左右エンコーディング :  ”0″ ~ |→> 、 “1” ~ |←>
  左右デコーディング  :  <→| ~ “0”、 <←| ~ “1”
でも当然できます。
ところが今仮にアリスのコーディング方向とボブとデコーディング方向が違ったとしてみます。たとえばアリスは上下コーディングで”0″を|↑>として伝えようとします。ボブがこれを左右デコーディングで解釈すると <→| すなわち “0” と受け取る確率が50%、<←| すなわち “1” と受け取る確率が50%となり、これだと情報伝達の確度が1/2になってしまいます。
これをまとめると、コーディングとデコーディングに上下基底を用いたもの、左右基底を用いたものの2種類を用いるとすれば、アリスの基底とボブの基底が同じものを用いた時に限ってビット情報が正確に伝えられます。
盗聴者
ここまでは量子状態を作る人アリスと見る人ボブの2人だけの世界でした。いま第3の人物がいて、アリスとボブの間の量子状態のやり取りを盗聴しようとしているとします。アリスちゃんの恋敵である嫉妬に燃えるイヴに他なりません。イヴはアリスの発した矢印の量子状態を観測するとともに、証拠隠滅のため、観測した状態の矢印を何事も無かったかのようにボブに渡す訳です。
アリスが1ビットの情報を量子状態でコーディングして伝えるのに、コーディング法、つまり「上下コーディング」でやったのか、それとも「左右コーディング」でやったのか、これをボブにつたえない限り正しいデコーディングができず、ビット情報は伝わりません。そこで電話やインターネットなどで、アリスがボブにコーディング法を教える必要が生じてきます。
しかしこうやってしまうと、これは通常の「古典的通信」ですから、イヴがこれを盗聴すれば、もちろんアリスの作った状態を正しくデコードして1ビットの情報を盗み、おまけに量子状態を再現してボブに渡せば、ボブとしては正しく1ビットをデコードできますが、ボブから見てイヴの存在は見えないわけです。つまりコーディング法の選択を公開回線で知らせると量子通信は盗聴にあい得るわけです。
ことろが今仮に、アリスがコーディング法の選択を差し当たり発表しないとします。イヴが偶然アリスと同じ方向でデコーディングしない限り、アリスの送ったビットはある確率でイヴに間違って解釈されます。おまけにその時イヴとしてはその間違ったコーディング方向の状態をボブに渡す以外ありません。するとボブが受け取る状態はアリスの送った本来の状態と違うので、仮にボブのデコーディングがアリスのコーディングと偶然一致しても、ある確率でアリスの送ろうとしたビットはボブによっても間違って解釈されます。
つまりコーディング法を通信と観測の後に明かして、結果の照合をやれば間に盗聴者がいる事を見つける事が可能だという訳です
BB84プロトコルによる乱数列の安全な共有
いまアリスがN個のビットを、毎回ランダムなコーディング方向を用いて量子状態として送り、ボブがこれもランダムなデコーディング法でN個のビットを解釈すると考えます。デコーディングが終わった時点で、アリスとボブは公開回線で通信し、各回に用いたコーディング法を確認して、双方の方向が偶然一致したM回のビットだけを比較するとします。もし途中になにも無ければ、勿論このM回分のビットに関してはアリスとボブで100%一致するはずです。しかしもし、間でイヴが盗聴していれば、上の文節で見た通り、このM回のうちでもある確率でアリスのビットはボブに間違って伝わります。
これを要するに
(1)アリスがビット列を「上下」と「左右」のコーディングをランダムに交ぜて変換して状態を送る
(2)ボブも「上下」と「左右」のデコーディングをランダムに交ぜてビット列を再生する
(3)両者のコーディング/デコーディング法を事後に比較して、一致した部分だけのビットを並べたビット列を、アリス、ボブがそれぞれ作る。
(4)盗聴者なければ両者は100%一致しているはずなので、ランダムなビット列が共有されたことになる。
(5)両者にもし齟齬があれば盗聴者イヴの存在を示している。
という訳です。
結局、公開回線で通信して(5)を確認する期間と、盗聴者の無いことを仮定して(4)としてランダムなビット列を共有する期間を適宜取り混ぜれば、盗聴にたいして安全なランダム列の共有ができるわけです。この乱数列を暗号の秘密鍵として用いれば、決して解読不可能な暗号ができます。1984年にこれを考案したのがアメリカのIBMという会社の研究所にいたべネットとブラサールで、それにちなんでこの量子状態通信のやり方を「BB84プロトコル」と呼びます。
実例で見る
やっぱり実際の例で操作的に覚えた方が簡単なのでやってみましょう。
  *アリスの用意するもの:乱数ビット列2つ。量子矢印状態製造機、
  *ボブの用意するもの:乱数ビット列1つ。量子矢印状態観測器
  *イブの装備:乱数ビット列いくつでも、量子矢印状態製造機、量子矢印状態観測機
ここで量子矢印状態製造器は「0」「1」2つの動作モードをもち、
  *「モード0」でビット0の入力で|↑>が、ビット1で|↓>ができる
  *「モード1」でビット0の入力で|→>が、ビット1で|←>ができる
量子矢印状態観測機も同様の対応で状態の入力でビットが出力される、と思う事にします。
アリスは最初の乱数列を「仮暗号鍵」として扱い、次の乱数列を量子状態製造機の「動作モードの指定」に使う。ボブは乱数列を量子状態観測機の「動作モード指定」に使う。
 ***** アリス *****
仮暗号鍵 0  0  1  1  1  0  1  0  1  0  1  0  1
モード  0  1  0  0  0  1  0  1  1  0  1  1  0
製造状態 ↑  →  ↓  ↓  ↓  →  ↓  →  ←  ↑  ←  →  ↓
 *****  ボブ *****
モード  0  0  0  1  0  0  1  1  0  0  0  1  0
観測状態 ↑  ↓  ↓  ←  ↓  ↓  →  →  ↓  ↑  ↑  →  ↓
推測鍵  0  1  1  1  1  1  0  0  1  0  0  0  1
盗聴者不在のときはアリスの機械とボブの機械と動作モードが同じ部分だけを取り出すと、暗号鍵と推測鍵が100%の確度で一致している。アリスとボブの動作モード不一致の部分をみると暗号鍵と推測鍵には50%の不一致が見られる。

という訳で、アリスとボブは暗号鍵となる乱数列の共有ができる訳です。

宿題
上の表において共有された乱数鍵に丸をせよ(プログラム例参照)

ではアリスとボブに加えて、盗聴者イヴがいるときをやってみましょう。
 ***** アリス *****
仮暗号鍵 0  0  1  1  1  0  1  0  1  0  1  0  1
モード  0  1  0  0  0  1  0  1  1  0  1  1  0
製造状態 ↑  →  ↓  ↓  ↓  →  ↓  →  ←  ↑  ←  →  ↓
 *****  イヴ *****
モード  1  0  1  0  0  1  1  1  0  1  1  1  0
観測状態 →  ↑  ←  ↓  ↓  →  ←  →  ↓  ←  ←  →  ↓
 *****  ボブ *****
モード  0  0  0  1  0  0  1  1  0  0  0  1  0
観測状態 ↓  ↑  ↑  ←  ↓  ↓  ←  →  ↓  ↓  ↑  →  ↓
推測鍵  1  0  0  1  1  1  1  0  1  1  0  0  1
盗聴者イヴがいて、彼女の機械の動作モードがアリスの機械と一致していない場合(50%の確率)、ボブにはアリスがの作ったのとは異なったモードの状態が送られる。するとボブとアリスのモードが同じ部分だけを取り出しても、暗号鍵と推測鍵が25%の割合で不一致をきたす。

 

宿題
上の表でイヴがいなければ共有されたの乱数鍵に丸をせよ。そのどれが不一致であるか、さらに×を書いて示せ

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第十二回
「量子テレポート」

EPRパラドクス
量子論の「観測」の奇妙さは実はこれまでの例に止まりません。場合によっては貴方の前にある量子状態が、今まで会ったことも無いどこか遠くの別人の観測の影響で瞬時にかわってしまうことだってあるのです。とても変ですね。でもひょっとしたら、ここまで読んできた貴方は、そんな事くらい予想してましたかね。
いま量子矢印が2つあったとします。隣り合わせて一方を上向きの状態、他方を下向きの状態に設置しましょう。一番目の状態を |>1 、二番目の状態を |>2 と書くことにすると、どちらが上向きかによってこれはベクトル
    |A> = |↑>1|↓>2、  |B> = |↓>1|↑>2
で表現されます。この二つは異なった状態で、あきらかに <A|B>=0 で、また当然ながら <A|A> = <B|B> = 1 です。ところが前にでてきましたが、2つの状態の重ねあわせもまた量子状態なはずですから
    |S> = 1/√2 |↑>1|↓>2 + 1/√2 |↓>1|↑>2
というものだって状態と考えられます。係数の1/√2は <S|S> = 1を保証するために必要です。さてこんな質問をしてみます。二つの矢印が |S> の状態にあるとしたら、1番目の矢印はどの向きを向いてるでしょう?|A>だと上、|B>だと下で、それぞれを得る確率は
    | <A|S> |^2 = 1/2、 | <B|S> |^2 = 1/2
ですから半々の確率、と思えるかもしれませんが、よく考えると、そう簡単には言えません。正しい答えを得るには、一番目の矢印の状態 2<↑| 、2<↓| だけで内積をとってみます。
    2<↑|S> = 1/√2 |↓>1、 2<↓|S> = 1/√2 |↑>1
これは「2番目の矢印が上(下)向きに見つかったとすれば」という条件の下では「一番目はいつも下(上)向きである」という意味です。つまり1番目の状態の上向きになる確率というのは、2番目の状態が上の場合と下の場合で異なってきちゃうのです。ちなみに係数1/√2は、そもそも「2番目の矢印が上(下)」という前提条件が実現する確率1/2の平方根です。
結局「1番目の矢印の向きは?」と言う質問には、2番目の状態に関する指定を行ってから始めて次のように答えられます。
 * 2番目の矢印を気にかけないと、1番目の矢印が上向きの確率は50%
 * 2番目の矢印が上向きと観測されれば、1番目の矢印は100%下向き
 * 2番目の矢印が下向きと観測されれば、1番目の矢印は100%上向き
つまり仮にボブが1番目の矢印だけを観測するとしてその結果は、2番目の矢印をイヴが観測したかしなかったか、したとして結果がどうだったか、に依存すると言うことです。この |S>のような状態のことを1と2の状態が単独で指定できないと言う意味でEntangled state「もつれ状態」または「からみ状態」といいます。
こういう結果が |S> も量子状態として許されるという事実から出てくるのを、最初に指摘したのはアインシュタインでした。そこでこれを論文の共著者名を並べて「アインシュタイン=ポドルスキ=ローゼンのパラドクス」っていいます。アインシュタインはこれを量子論が不完全な証拠、ないしは量子論の状態を確率的に解釈するのが間違っている証拠と考えたのです。
ところがその後、これを直接調べる実験ができるようになりました。最近の実験では |S>の状態を作った後、矢印1と2を空間的に数十キロ引き離して別々に観測します。結果は、1番目の矢印の状態が、数十キロ先の2番目の矢印を観測した結果に依存するというのが全くの事実であるこというものです。どうもこの件に関してはアインシュタイン先生の旗色が悪いようです。
ベル基底とエンタングルメントのスワップ
当面の仕上げとして「テレポーテーション」とセンセーショナルに呼ばれている現象をみましょう。まず前置きです。前節で、矢印1と2からなる系の状態 |A> 、|B> が出てきましたが、これ以外に2つ状態を加えて
  |A> = |↑>1|↓>2、|B> = |↓>1|↑>2、|C> = |↑>1|↑>2、|D> = |↓>1|↓>2
を考えると、この4つであきらかに両方の矢印の上下の可能性を尽くしてますから、これは2矢印状態の基底セットになります。別なチョイスとして、もつれ状態だけからなる次のような基底セットもあります。
      |X+> = 1/√2|↑>1|↓>2 + 1/√2|↓>1|↑>2、
      |X- > = 1/√2|↑>1|↓>2 – 1/√2|↓>1|↑>2、
      |Y+> = 1/√2|↑>1|↑>2 + 1/√2|↓>1|↓>2、
      |Y- > = 1/√2|↑>1|↑>2 – 1/√2|↓>1|↓>2

この4つの状態の組が基底セットな事は、自分自身との内積は全て1、異なったもの同士の内積は全て0であって、それぞれが互いを含まない別な状態であることから判ります。これを「ベル基底」といいます。ここの|X+>はさっき出てきた|S>と同じものです。基底だと言うからには、これ等のもつれている状態は作ることができ、かつ観測にかかるはずです。

さてアリスが量子矢印Aをθ傾いた状態に設置したとしましょう。
      |θ>A = cos[θ/2] |↑>A + sin[θ/2] |↓>A
このままの形で遠くにいるボブに伝えたいとします。今回はイヴと仲直りして、彼女に手伝ってもらいます。イヴはアリスとは別の2つの矢印EとBで
      |Φ>EB = 1/√2 |↑>E|↓>B – 1/√2 |↓>E|↑>B
というもつれ状態を作っておいて、矢印Eをアリスに、矢印Bをボブに送りつけます。3つの矢印の状態全体の状態を |Ψ>AEB とかくと、それは
      |Ψ>AEB = |θ>A |Φ>EB
です。
ボブにはどんな状態がきてるでしょうか?前説をちゃんと読んだ人は、これはそのままでは答えの無い、悪い質問である事が判ります。なぜならいまやアリスの手元にある矢印AおよびEとボブの持つ矢印Bは「縺れた状態」にあるので、アリスが測定を行って矢印AおよびEの状態を確定しないと、ボブの状態は確定しないからです。そこでアリスは、これもイヴから借りた「2矢印状態同時測定装置」をつかい手元の矢印AとEの観測をします。この装置は高級で、あるモードでは上でやった「ベル基底」の測定ができるもとします。ここで注意したいのは、もしアリスが矢印Aの状態だけを測定したら、それは依然 |θ>A であることです。少し計算すると次の式がえられます。
   AE<X+|Ψ>AEB = -1/2 { cos[θ/2] |↑>B + sin[θ/2] |↓>B }
   AE<X- |Ψ>AEB = 1/2 { -cos[θ/2] |↑>B + sin[θ/2] |↓>B }
   AE<Y+|Ψ>AEB = 1/2 { sin[θ/2] |↑>B + cos[θ/2] |↓>B }
   AE<X- |Ψ>AEB = 1/2 { sin[θ/2] |↑>B – cos[θ/2] |↓>B }
いま最初の式をよくみるとこれは

AE<X+|Ψ>AEB = -1/2 |θ>B
ですから、この意味を考えると、アリスの観測結果がAE<X+|だったとしたら、その瞬間にボブの元にある状態が |θ>B と確定するということです!つまりこの「2矢印同時測定」の直前までアリスの手元にあった状態 |θ>A を、測定の瞬間にボブの手元に |θ>B として移転したことになります。これが量子テレポーテーションです。

ここで重要な補足をしますが、状態の移転自体はアリスが状態の観測を行った「瞬間におこっている」ようにも見えますが、ボブに移転された状態がアリスの意図した|θ>であったとの確信を得るには、ボブからの「今こちらで見たらAE<X+|だった」との情報を得なければなりません。これは、係数 -1/2 が示す通り確率1/4でしか起きませんから、確証情報なしに転送状態を使って何か始めるとリスクが大きすぎます。つまり状態を本当に使えるという意味で「テレポート」するには、古典的通信チャネルでの通信の同伴が要ります。仮に量子状態の変化が瞬時に行なわれるものだとしても、状態の確度100%の転移は古典通信の限界速度(この場合は光速)に制限される、ということになります。そもそもを云えば、状態変化が距離を超えて瞬時に起こるようにも見えるのは、ここでの議論が非相対性理論的な量子力学に基づいているから、に過ぎません。

さらに補足しておくと、もしAとEの同時測定で AE<X+| 以外のベル状態 AE<X- | 、AE<Y+| 、AE<Y- | が観測されてしまったときも、ボブが単純な1ステップの操作で状態を |θ>B に変えることができます。つまりテレポートの確率を 1/4 から 1 にあげる事が出来る訳です。もちろんアリスの観測した状態の情報なしにはこれが出来ないのは前と同様です。
このテレポーテーションもほんの数年前に実験が行われて、ここでいった理屈通りのことが現実として確認されてしまいました。この場合鍵となったのはベル状態を高純度で制作、観測する技術です。

(original post 2014/5/22)