欧州の科学:挑戦と機会

パヴェル・エクスネル欧州数学会会長(チェコ工科大教授)
サイエンスカフェ@高知工科大(H27.10.13)公式レポート

本年度高知工科大サイエンス・カフェ第一回は、欧州を代表する数理物理学者の一人で、現在欧州数学会会長の重責を担われるチェコ工科大学教授のパヴェル・エクスネル先生をお招きしました。エクスネル先生は昨年度まで、欧州全体規模の科研費をつかさどる「欧州研究評議会」の副理事長としてEUの科学政策の実施の現場におられ、ここでは特に「重点的ファンディング」の執行の実際的な側面についてまで聞くことができ、日本の科学政策においても、いろいろと参考となるお話しだと感じました。前半は欧州数学会がいかにして立ち上がったかについてで、後半が欧州連合の科学予算についてでした。

磯部学長、蝶野副学長をはじめ30人ほどの聴衆を前に、活発な討議を含む120分にわたる盛況なサイエンスカフェでした。話の要点は次のようでした。

欧州数学会の統合

過去二千年以上にわたって欧州が世界の数学をリードしてきたことは「偽の謙虚さを取り払っていえば」ピタゴラス、エウクレイデス、アルキメデスから、デカルト、ニュートン、フェルマー、パスカル、オイラー、ガウスを経てリーマン、ポアンカレ、ヒルベルトと名前を列挙するだけで明らかである。欧州各国の個別の数学会を「欧州数学会」に統合する努力も、この主導的役割を、勃興する他の地域の数学大国に伍して、21世紀にも維持するための方策の一環であった。

数学者の欧州規模の情報交換と研究促進のネットワークとしての欧州数学会は、今年で創立25周年となった。それぞれに近代数学の発展と分かちがたく結びついて発展してきたという誇りをもつ国ごとの数学会を、一つの連合体にまとめ上げるのは、思いのほかにいろいろな障害がありその歩みは遅かった。欧州数学会は個々の自立した国別数学会等60の連合体という、EUの構成を模した形態で成り立っている。4年に一度の「欧州数学会」の開催、雑誌や書籍の出版、欧州数学会が認定する25の研究センターの運営の統御、優れた研究を表彰する「欧州数学会賞」の選定などが主要な活動である。

そして時流の推移に合わせて、最近では一般社会への「数学広報」や、産業界との共同による応用数学、産業数学の奨励を行っている。

欧州研究評議会

これはEUの「政府」である欧州委員会直属の科学予算審議機関である。欧州各国の科学研究補助金とは別建ての、EU予算から直接支出される科学研究補助金の配分を決定する。各国別の通常の研究費に比して、特に優れた基礎研究の芽を支援する大型研究費に特化している。

欧州研究評議会の運営する財団の予算規模は年間20億ユーロ(約3千億円弱)で、EU科学予算の17%を占めている。この財団の配分する研究費は一件当たり150万ユーロ(約2億円)で5年にわたるものから、250万ユーロ(約3億5千万円)で10年にわたるものまであって、4千3百件ほどが現在採択され走っている。総計でポスドクからシニアーまで総計2万2千人の研究者がこの研究費の受益者となっている。

評議会の配分する研究費の特徴は

*トップダウンではなくボトムアップ
*プロジェクトベースではなく個人研究ベース
*国別クオータなしの競争、欧州内に研究拠点もつ全研究者が対象

というものである。すなわち評議会の設定した「重点プロジェクト」に応募する形式ではなく、応募者の選んだ題材にもとづいて応募審査され、応募者個人が自分のティームと職場を欧州内で自由にえらべる仕組みになっている。EU内に研究拠点を設定しさえすれば、EUのメンバー国以外の国民も応募可能である。研究費獲得者の多くがキャリアの開始点にある30代の若手や40代前半の中堅で、いわゆる大家の年齢層は少数であるというのも特徴の一つである。「真のエクセレンス」の選択を保証するため、そして「国別利益」が選択に介入せぬよう、鑑識眼の保証と審査過程透明性確保とのために、格段のシステム整備と人的リソース投入が行われている。これはすべて「独立不羈の精神」そして「個人の創造的な自由」をなにより貴ぶという欧州古来の思想に根差したものである。

研究費の死徒の自由度を高め、配分の事務的手続きを簡素にして、研究プロセスの管理よりも、その成果の事後評価を重点的に行っているのも特徴の一つである。「近代科学誕生の地である欧州が今後も科学のリーダーであり続ける」とするEU諸国民の負託を受けているが故に、結果がすべてと考えて、注意深く制度を設計してきたのだ。

そして開始から8年目の2014年時点で、この大型研究費補助金の受給者から

*3万件の論文出版
*そのうちの7%が引用指標でトップ1%
*三名(二件)のノーベル賞受賞者
*二名のフィールズ賞受賞者

を出しており、まずは上々の成果と自賛している。

非EU国在住研究者の応募採択が年々増えており、国別でみると米国、カナダ、オーストラリア、アルゼンチンと多岐にわたり、日本在住者の採択も(EU国籍所持者ではあったが)二件あった。中国印度からの応募採択の拡大を今後予想している。画期的なアイデアを持った若い日本人研究者の個人イニシアティブによる応募を歓迎する。

ポストスクリプト

大型研究費の効果的な配分は、日本にあっても今後公的レベルで議題となる筈であり、各国の個別利益を超えた透明で公正なシステムを作る、という要請から生み出された欧州の先進的な試みは、参考になる点が多いと思えました。少し気になった点は、エクセレンスはエクセレンスを引き寄せるという「マタイ効果」なのか、4千件を超える配分が結局は50ほどの研究組織に集中してしまっているという事実で、これは不可避なのかどうか、これを良しとするかどうかも含め、詳しく解析する必要があるように感じました。

講演を通じて感じられたのは、欧州は科学文明の先頭に立ち続ける、そのためにあらゆる労をいとわない、決して易きにつくことはしない、とする欧州科学者の強烈な意志でした。歴史に裏打ちされた揺るがぬ誇りのなせるところでしょう。今はまだ時が熟してないとはいえ、経済軍事科学文化等、政治を除く文明の諸事万般においていまや世界の最先端に伍している東亜地域でも、小さな意地の張り合いで互いを削りあう時代はいずれ去り、10年先なのか50年かかるのか、何とか平和のままでか、またひとたび悲惨な果し合いを経てかは不明ながら、いずれ心からの地域協力の枠組みが生まれてくるはずです。東亜においても政治的智性が覚醒するその暁には、19世紀までの恩讐を乗り越えた欧州の取り組みが我々すべての参考になり。欧州科学界の今日の課題は、明日の我々自身と課題となるのではないかと、筆者には思えるのです。

参考資料

P. Exner, “European Science: chalenges and oportunities” [PDF]
P. Exner, “The European Research Council” [PDF]