実践宇宙気候学批判

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今週のとある早朝のオフィスで、少しだけ息を継ぐ間を見つけたので、気忙しくて封を切る間もなかった物理学会誌の5月号を開いてみた。パラパラと眺めていると「宇宙環境と地球の気候」という題が眼にとまった。武蔵美の宮原ひろ子博士の解説記事である。「太陽圏システムの物理学」という副題が付いている。

ブリューゲルの凍結した画面にも描かれてるように、十七世紀の70年ほどは、地球全体の気温が目に見えて下がった時期であった。穀物の不作で飢饉の多発したこの近世の小氷河期が、一体何に起因するのか、これまで諸説はあっても、本当のところは不明であった。

この時期に関する一つの不思議な事実が、昔からよく知られていた。この小氷河期はちょうど太陽黒点が消失した時期と重なっていたのである。そういう目で、他の時代のデータも合わせて見ると、この符合が偶然ではあり得ないことに、誰でもが気付く。太陽黒点の数と地球の平均気温の高低は、見事な逆相関を示すのである。

もし太陽黒点の多寡が、太陽から地球に到達する日射量の多寡に直接繋がっているのなら、この連関は理解しやすい。ところが話はそんなに単純ではない。太陽からの日射量の変動は、黒点の多寡とはほぼ無関係であって、その変動自身、0.1%以下の小さなものだからである。一言で言えば、陽光の強さの年ごとの変動は、無いに等しいのである。

この積年の謎にようやく満足すべき答えが与えられようとしている、というのが宮原論文の主旨である。キーワードは「太陽圏磁場」である。

太陽は、ちょうど地球と全く同じように、自転からくる磁場を帯びている。この太陽磁場は、宇宙から来て太陽系に降り注いでいる荷電粒子の経路を曲げて、それが直接惑星を打ちつけるのを防いでいる。荷電粒子は勢いを弱めて、太陽の周りを渦のように廻るのである。地球は太陽磁場のシールドで、強い宇宙線から守られているのだ。

ところが太陽磁場は始終不規則に変動している。その変動のパターンについて、我々はまだ十分な理論を持っていない。しかし一つの事だけは明白にわかっていて、それは黒点の多寡が太陽磁場の強弱の直接の指標だ、という事実である。

そうすると次の事が明らかであろう。黒点の多い時の太陽は、強い磁場を放っており、その太陽圏磁場のシールドに守られて、地球には本来より少ない宇宙線が到来する。逆に黒点が少ない時の磁場の弱い太陽には、地球を宇宙線から守る力が十分残っていない、というわけである。

それでは宇宙線の増減が、地球の気温とどう関係するのだろうか。ながらく一つの説があった。宇宙線は地球大気対流圏での雲の成長を促進する、というスヴェンスマルク説である。この学説の提唱から14年目の2011年、欧州加速器機構CERNでの実験で、ついにこれが実証された。大気を模した湿った空気のチャンバーに、加速器からでる超高速の荷電粒子を照射すると、雲の元となる雲核の生成率が目に見えて高まった。

ついに宇宙とわれわれの身の周りを繋ぐ、直接の絆が見出された、というのである。

星空の彼方から降り注ぐ宇宙線の多寡が、雲の生成の多寡を通じて、地球の気候に影響している。太陽は磁場の強弱の変化を通じて、地球の宇宙線量を、そして地球の気象のリズムを作っていた、というのである。改めて気象データを見ると、赤道付近の雲の量や、地球の各所の平均気温には、短くは27日のリズムとその倍数54日のリズム、長くは11年周期のリズムが見つかる。これは太陽の自転周期の27日、黒点活動の特徴的周期である11年の反映であると考えると納得がいく。

(2)

ここまで宮原博士の解説を読み進んだところでチャイムの音を聞いた。確か会議の時間である。物理学会誌を抱えたまま会議室の後ろのほう、目立たない位置に座って、続きを読み進めた。そこにはさらに美しい話が書かれていた。

数日から数百年単位の地球気候の変動が、太陽圏磁気が引き起こす数日から数百年単位の宇宙線量の変動に起因するのだとすれば、数百万年単位、数億年単位でみた地球の気候変動を決めているのはなんであろうか。それは当然、数百万年数億年といった宇宙的な時間単位での、宇宙線量の長期変動に影響されるであろう。するとこれは太陽の磁場の変動などという、宇宙全体から見れば「小さな話」では済まないのではないか。

銀河系のなかの太陽は、太陽系の惑星を皆引き連れて、廻りの星々共々、二億数千万年の時間ををかけて銀河中心のブラックホールの廻りを周回している。それに加えて太陽は、多の星々全体で作る銀河面に対して、6200万年周期で上下に振動している。銀河面を一つの円盤状の水面と考えれば、そこをイルカのように跳ねながら回っている様を想像すればよい。イルカがダイブして水面に当たるたびに彼の体に衝撃が走るのと同様、太陽もこのような運動に際して、銀河面の星や星間物質の濃い領域をいく百万年かけて通過するたび、多くの放射線を浴びる時期をもつであろう。太陽系の惑星全てに、たくさんの隕石や星が降り注ぐ時期もあるだろう。

地球上の生物の40億年の歴史をたどれば、そこに大きな気候変動に起因した生物の大量絶滅の痕跡がなんども見つかる、という説が最近有力になってきた。ある計算によると、すでに我々は5度の大絶滅を経験したということである。その中には赤道まで氷河が拡大した全球凍結の「スノウボール・アース」の時期も数度あったという地質学的証拠が上がってきているという。

このうちの幾つかは、もしかしたら銀河的な起源をもつ宇宙線量の大増加によるものかもしれない、との議論が今や始まっている。海底コアから復元された海水温の変動に1.4億年の長期の周期がみつかっている。これがちょうど、1.4億年周期で太陽が近隣の銀河の腕に対して運動する周期に対応し、寒冷化の時期がぴったり、太陽が腕を通過する時期に一致している、という指摘がなされている。さらに壮大な話もある。20億年ほど前に、我々の銀河が隣の銀河と接近して衝突寸前になった時の痕跡が、大寒冷時代の一つに対応しているのではないか、という説が出されているという。

大気圏気候学、銀河圏気候学、宇宙気候学!ちょうど木々の年輪の縞模様が、知られざる地球の歴史を物語っているように、地球気温の長期変動のゆらぎの形態が、銀河の秘められた過去を密やかに語り始めたのだろうか。

(3)

解説を読み終わって目を上げると、薄暗い会議室の中で、どこか遠くからの何かを浴びたかのように、書物が微光に包まれている、と私には感じられた。「エコロジカル高知プロジェクトを主導する、エコロジカルな大学キャンパス」について、誰かが語っているのが聞こえた。どうやらそれが議題のようである。会議室が妙に薄暗いのもエコロジカルなキャンパスの一環かな、などと考えているうちに、議論の筋がわからなくなって、また空想の世界に戻ることができた。

ここ200年ほどの産業化による炭素資源の活用の結果、地球大気が炭素化して地球が温暖化への道をひた走っている、というのが現代地球科学の共通認識となって久しい。関連産業界の否定にもかかわらず、これは今や人類全体の共通認識となってきたといっていいだろう。COP20xxで毎年毎年堂々巡りの議論があって、個別利益のぶつかりあいで人類全体の政治的決断が遅れる中、大気中炭素量は増え続けている。我々はどこに向かっているのだろうか。

最近時々語られるのは、5億年前の藻類、シアノ・バクテリアの全地球的大繁殖による、大気の酸化、そして脱炭素化、そしてそれのもたらした寒冷化スノウボール・アース化との対比である。シアノ・バクテリアの大繁殖によって、それまでの炭酸ガス主体の大気の熱い世界を生きていた嫌気性細菌のほとんどは死に絶え、世界は我々の知るような酸素主体のものとなった。このように自らの繁栄のもたらす環境悪化の統御に失敗した生態系の大絶滅を、すでに地球は経験している。人類が温暖化で自ら苦境に陥ったとしても、われわれには「そのようなことをした最初の存在」という名誉すら与えられないだろう。

「宇宙気候学」に話を戻せば、それが基盤とする「雲生成の宇宙線メカニズムがCERNの実験によって実証された」という主張には、批判的な見方がある。大気現象の複雑性をよく知る気象学者の多くは、「宇宙気候学」には懐疑的である。高エネルギー粒子が雲を作ること自体は、ウィルソンの霧箱以来の周知の事実である。しかし雲生成に同程度の効果を与える競合過程は多くあり、宇宙線メカニズムがこれらに勝って顕著であることは、未だ示されてはいない。気象学界の大勢は、これを「ちゃんとした証明を待っている興味深い仮説」と見做しているようである。

しかしそれはなんという興味深い、胸を打つ仮説であろうか。これが仮に事実だとすれば、銀河気候学的な大絶滅と生態学的な大変動の狭間で、われわれ人類がいかに繁栄を保てるのか、それには星辰世界の掟と生物世界の掟を、二つながらに考え抜いていかねばならなるまい…とそこまで夢想した時、ある言葉が思い浮かんだ。

「二つのものが常に新たないや増す感嘆と畏怖の念で心を満たす。私の上なる星を散りばめた空と、私のうちなる道徳律である」

ドイツの哲人、インマヌエル・カントの言葉である。自然界の精妙な成り立ちを知れば知るほど、生物界の驚異を目にすればするほど、そこに見出される畏怖すべき美に打ちのめされつつ、そこからさらに「善く生きる」ための思考のエネルギーを汲み出した二半世紀前の哲学者。全地球環境問題を前にした我々、宇宙気候学の知恵の扉を開いた我々の心に、彼の言葉がなんと近しく、真実に響くのだろうか。

カントが仮に今の世に再来して、太陽圏気候学について銀河圏気候学について聞き及んだとしたら何と言っただろうか。銀河宇宙の出来事が我々の現在や行く末に、こんなにも身近になってしまったのを、どう感じた事だろうか。東プロイセンのケーニヒスベルクに生まれ、生涯町を出ることのなかったカント。塾考の末でなければ何も言ったり書いたりしなかったはずの彼である。世は移り国は破れ、東プロイセンもケーニヒスベルクも地上から跡形もなく消え去った今の世にあっても、きっと彼は次の通りの言葉を語ったに違いない。

Zwei Dinge erfüllen das Gemüt mit immer neuer und zunehmenden Bewunderung und Ehrfurcht, je öfter und anhaltender sich das Nachdenken damit beschäftigt: Der bestirnte Himmel über mir, und das moralische Gesetz in mir. Beide darf ich nicht als in Dunkelheiten verhüllt, oder im Überschwenglichen, außer meinem Gesichtskreise, suchen und bloß vermuten; ich sehe sie vor mir und verknüpfe sie unmittelbar mit dem Bewußtsein meiner Existenz. (Kritik der praktischen Vernunft)

二つのものが常に新たないや増す感嘆と畏怖の念で心を満たす、それについてよりしばしば、より長く思念するにつれて。私の上なる星を散りばめた空と、私の内なる道徳律である。私はそれらをヴェールの向こうの薄暗いなにか、または私の視野の地平の彼方の途方もないなにかとして探し求め考えはしない。私はそれらを私の眼前に見、私の存在の意識をもってそれらと直接的につながるのだ。(実践理性批判)